自然に帰れ。
最後に星空を見上げたのはいつだろう?
コニカミノルタ プラネタリウム ホームページより
大人になって、自然に触れる機会が減った。
空を見上げることが少なくなった。
思えばずっと下を向いている。
小心翼々。
道から外れないように。
レールから落ちてしまわぬように。
みんなから逸れてしまわぬように。
いつしか世界はとても狭く、足元とスマホの四角い画面の中に切り取られていた。
狭くなったのは世界か、自分自身か。
今夜星を見に行こう。
君の知らない物語 Supercell
思えば都会暮らしも楽じゃない。
退廃的な消費生活と引き換えに我々は自然の一部であるという人間性を差し出している気がする。
高さを競い合うビルの光害の元では、星空は望めない。
コロナ禍の中、世間はキャンプブームだが、これはある種の人間らしさへの原点回帰と感じる。
自然に帰れ。
ジャン・ジャック・ルソー
世界は本来想像しているよりずっと広く、エキサイティングな発見に満ちている場所だ。
自然はただ其処に在り、悠久なる時間が流れているだけで、我々の存在はその中に一瞬出現した瞬きに過ぎず、意味は本来ない。
人生の難問(っぽい何か)にぶつかると、人は苦悩し、絶望するが、宙に広がる無数の星々の流転に比べれば、実に矮小で思わず笑ってしまうような出来事なのである。
それはどうでも良い、取るに足らないものだ。
無意味に生を受けて尚、その生に必死に意味づけするべく藻掻くのもまた実に人間らしいが、くよくよしててもしょうがなく、人生太々しく楽しんだ者勝ちという訳である。
都会生活があまりにも長く、自然と切り離されているとこの本質も忘れ「人生の意味だの」、「自分の価値」だの尊大で勘違いしたことを宣うことになる。
だから、定期的に自然に帰ることが大事なのだ。
クジラが呼吸する為に海面に戻るように。
プラネタリウムを見に行こう
自然への回帰はキャンプや登山、様々なやり方があるが、基本的にどれもそれなりの道具や準備が必要だ。
これらには計画性や情熱が必須となる。
一方、都会生活に塗れ、感受性や考える力を失った状態では望むべくもない。
都心でフラっと然したる準備もなく気軽に気持ちをリセット出来る場所として、プラネタリウムがとても素晴らしかったので紹介させて頂く。
今回は池袋サンシャインシティにあるコニカミノルタ満天にお邪魔させて頂いた。
有楽町線東池袋駅を降り、サンシャインシティを目指す。
ひと昔前の池袋と言えばどうしてもIWGPのイメージが強く、猥雑な雰囲気の中行ったら逆に疲れそうなのでずっと敬遠していたが、サンシャインシティ周りはとても洗練されてオシャレな雰囲気で驚いた。
プラネタリウムへは4連エレベーターで屋上を目指す必要があるが、若干入り組んだ場所にあり、分かりづらいのでホームページのアクセスマップを見て予習することをおススメする(プラネタリウム満天ホームページ/アクセスへのリンク)。サンシャイン水族館と同じ場所となる。
時間ごとに様々な演目がなされており、今回は「時を刻む、この星空 with DREAMS COME TURE」を選んだ。
内容は言葉に言い表せないくらい素晴らしい物だったので是非体験して頂きたい。
イルミネーションある廊下を通れば会場である。
シートは三種類あり、どれも最高の体験が約束されるが、予約が叶うなら雲シートか芝シートをおススメする。
忘れられない体験となることだろう。
映画館風の一般シート
「雲に寝そべって星空を見たい」という欲求を叶えてくれる5組限定の雲シート
エアウィーブを採用したフルフラットの3組限定の芝シート
上映中は撮影禁止だったので、ニュージーランドクック山麓で撮影した星空を参考に載せておく。
上映が始まるや否や撮影したい気持ちは全く無くなり、満天の星空にただ圧倒され没入したので、カメラ等は初めから無粋だったのかもしれない。
思い出は記憶の中だけで良い。
一期一会だからこそ素敵なのである。
40分の上演時間はあっという間で、上映後は世界に対する前向きな気持ちと心地よい余韻だけが残った。
プラネタリウムは所詮偽物の星空。
そうかもしれない。
高解像度で極めて正確に映し出された星々は期待以上で驚いたが、映像だと言われてしまえばその通りである。
しかし、想い憧れることも人間に与えられた特権なのだ。
そして憧れを実現する為の情熱は人の持つ最も強い力の一つである。
次の予定を立て、本物の星空を見に行こう。
そしていつかは宇宙空間で再会しよう。
我々の憧れは止まらない。